30代-年収低迷期-

男30歳、転職活動に行き詰まり。応募総数は300を超えた時に思った事。

僕は30歳になり、WEBデザインスクールも無事卒業。ただ就職活動で使うだろうWEBデザインスクールで作ったサイトは見れたものではなかった。当時、マクロメディアのFLAASHという技術が流行の真っ只中。

NIKEのサイトですらFLASHバリバリの時代だった。そんな最先端の技術に触れるたびに、本当にこんな事が出来るようになるのだろうか?という不安がよぎっていたのはよくおぼえてる。

そんな不安が的中する方となり、就職先が決まらないと言う事態に飲みこまていきました。

30歳男の就職活動、不採用メールの嵐

僕が転職活動をしていたのが2005年。この当時WEB制作会社は今ほど多くなく、さらには面接でYAHOOの事をヤホーと言って面接官に間違いを指摘される人もいるくらいの時代でした。

当時の僕のキャリアを改めて書いておきます

  • 年齢は30歳男性
  • アパレル業11年
  • WEBデザインスクール1年
  • モバイルサイト運営(派遣社員)1年

結論を言うと、300社ほど受けて数社受かります。しかも超がつくほどブラック企業です。それはのちど書きますが、本当に大変でした。何が大変だったと言うと、まず実務経験がなかった事。当時のWEB業界はほぼ求人の内容に実務経験が記載されておりました。当然、そんなのお構いなしに受けたので受からないと言うのもあったのですが、無視せざる得ないほど実務経験重視だったんです。

途中なんども心折れそうになりましたね。

やっぱりアパレルに戻ろうかなと思った事も数知れず。それでも自分の未来の為と思い、片っ端から応募しました。正直詳しく見ないで応募もあったので、面接で弊社への志望動機は?などと聞かれるとキツかった。

記憶では最終2社程度内定をもらい、そのうちの1社に決めました。正社員という事、年棒もアパレル業時代と近かった事で決めました。

人生初の超ブラック企業へ無事内定、そのトラウマへ

当時企業間で流行していた給料形態が「見込み残業代」と言うなんとも不思議な制度。僕もこれに騙されました。この見込み残業の怖い所は一見給料はちょっと良いように見えます。でも紐解いてみるとひどいものです。そういえば見込み残業って最近ちょっと少なくなりましたね。

当時の待遇というか境遇

  • 定時:9:30分〜18:30分
  • 年収は380万程度(見込み残業込み)
  • 残業:帰るのほぼ終電
  • ボーナスは年棒制なので14分割の1ヶ月分

あるテレビ局の子会社だったんです。名前は言いませんがかなりのブラック。特に残業。大袈裟でなく、毎日毎日帰宅は終電。そして翌朝9時出社。通勤時間が1時間だったのでほぼ自分の時間無しでした。また、時給換算するとひどいもんです。

この会社だけで言えば、そもそも皆定時に帰る事自体を諦めており、その分お昼休みで3時間取るスタッフもいた程です。

なぜそんなに残業が酷かったかと言うと、テレビ番組のWEBサイトを更新する仕事です。毎週の放送に合わせて。当然サーバーにタイマー設定はできるのですが、何故か担当のサイトは黙示確認すると言うワンダーなルールがありました。

(タイマーの意味ないじゃん)

WEB業界初心者だった僕は、そのルールに異を唱える事などできず、毎日毎日寡黙に働きました。でもやっぱりモチベーションが持たず1年で退社します。きっかけは年下の生意気な態度だったんです。(それはキッカケでもともと辞めようと決めてましたが…)

またかと思いつつ再度転職活動開始

この時の自分のスキルとしては、転職サイトへの効率いい経歴追加の方法くらいです。その位転職サイトの更新作業がうまくなってましたね。

前職の失敗を受けて自分なりに検討し再度転職活動

前職のTV番組の更新の会社はテレビ局の子会社という事もあり、ちょっと浮かれていたのはあります。もしかしたら芸能人に会えるかも?なんて考えていました。(当時人気の女子アナを見たくらいです。)

それを踏まえて自分なりによく考えました。そこで大手を狙ったんです。ここで受かったのは超有名サプリとコスメの通販企業です。多分誰でも知ってます。

社員のうち女性9割、それが仇に

待遇も良く誰でも知っている企業という事で2つ返事で内定を受けたのを覚えてます。また今回の転職活動は比較的早く決まったように覚えてます。よく覚えてるのですが、受かった転職サイトは「doda」

当時dodaは他の転職サイトに比べて比較的大手が多く、僕なりに華やかな企業が多いなと感じてました。まだWEB業界に夢を見ていた僕は、前回同様社名に負けてと言っても過言ではないです。

この会社の採用条件

  • 年収:500万
  • 勤務時間:9:00〜18:00
  • 残業はほどほど

この企業は実は3ヶ月で退社してます。理由は馴染めなかったから。特に女性社会のTOPと言っていいほどかなり特殊な会社でした。僕の上司は年下の女性でかなり気が強め。どうしてもその人と仲良くなれませんでした。ただこの会社の条件良さでちょっとでも頑張ろうと思ったのがダメでした。

実はこの時、自分が思っている以上に追い込まれており、うつ病寸前という所まで行ってました。でも実はこの時の会社の経験がのちに生きてくるんですけどね。人生ってわからないですね。

転職活動ばかり上手くなる転職の嵐。

なぜアパレルは同じ企業に10年働けたのに、WEB業界に来てからこんなに転職が続くんだろうと考えた事もあります。会社って正直合う合わないが凄いあります。会社にも性格と言うものがり、僕はことごとく合わない企業を引きてきた訳です。

それだけではなく、自分のスキルの低さと言うのも否めない状態。この時、僕はもう就職できないのではないとすら考えてます。

それでも今振り返るとここまではまだ年収が良かった方なのでマシです。本当にきつかったのはこれからですね。(それはまた次回)

まとめ

時代と言えばそれまでですが、当時はまだブラック企業というものが騒がれてなく、且つ新しい給料形態などがバシバシ出てくる時代でした。裁量労働制というのもそれに当たります。裁量労働ってやる事やれば良いのですが、当時の企業ではそんなの絶対無理でしたからね。怖いものです。

これから書いていく転職先で一番きつかったのは年収です。これは僕も悪いのですが、とにかくお金に困った時代の始まりです。

代表取締役社長
株式会社トゥエルブ
株式会社トゥエルブの代表取締役の山根と申します。メイン事業はECコンサルティング企業です。弊社の事業の1つとしてメディア・ブログ事業を始めましたので、私の経歴を元ににした転職ブログを立ち上げました。生きた意見を執筆するをモットーにブログのライティングを頑張っております。皆様、宜しくお願いいたします。
\ Follow me /