24歳でアパレル企業であるブランドの店長になりました。
当時は24歳で店長というのは決して早い訳でなく、同じフロアで見ても19歳でレディースアパレルの店長をやってる人もいた程です。僕は19歳でアパレル派遣を経験しリーバスの銀座店で勤務。20歳で今の会社に入社して24歳で店長。
それ考えると4年で店長(中間管理職)なのでむしろ遅い方ですね。僕の世代(1975年世代)は特に同世代が多かったんです。今の少子高齢化が嘘のように。
さて、なにわともあれ無事に店長になれた訳なのですが、ココからが辛かった訳です。
24歳で人生初の管理職へ
僕は個人売上も良く、その甲斐もあり売れる店舗に店長として配属される事になります。しかもその企業としては初の出店となる百貨店です。そう!関東で1,2の坪売上を誇る池袋の西武百貨店でした。
プレッシャーで押し潰されそうになる
僕はこのお店に配属される時、本社の人にこう言われました。
「うちの企業としては百貨店が初出店なんだ、なので絶対失敗するな」と…。24歳の僕はその重要性もちゃんと分からないまま、出店当日を迎えます。驚く事に同じ店で働くスタッフとも今日初めて同じ店舗に立ちます。
西武百貨店は周りも凄いブランドばかり。「バーバリーブラックレーベル」や「ポールスミス」、「コムデギャルソン」。そんな中ほぼ知られていないブランドで勝負に挑む形にになるんですが、それで持って絶対勝てと…。
今考えても人生でトップクラスのプレッシャーでした。
何故スタッフは言ってる事を理解してくれないんだ?
中間管理職、管理職の方なら一度は思ってしまう事。僕も例外なく思ってしまってました。でもそれは今思うと無理な話ですよね。給料も違えば立場も違う、目指すものや経験して来たものが違うんです。
そもそも、それを求めた僕の間違いです。むしろそう言った環境でもやりやすくしてあげるのが僕の役割だったにやった事は全くの逆。
怒る事でしかスタッフを動かす事が出来ない僕は、ひたすら「売上を取れ!」という事しか出来ず、スタッフの一人が退社へ。当時の僕はスタッフが辞める事よりも会社の望む売り上げを取る事の方が大事と思ってしまい、知らな間に「鬼」と呼ばれてました。
スタッフの退社で初めて考えたマネジメント
オープンから一緒に働いて来たスタッフが退社すると言うのは正直心が痛みます。当然僕の能力不足から起きた退社である事は間違いがなく、この時初めてマネジメントという言葉と向き合いました。
売上確保とスタッフの教育が同時に出来ない
24歳の僕の正直な感想であり、当時の僕は売上確保とスタッフの育成の両立が出来るほどの能力がありませんした。でも、時間は待ってくれません。会社からは売上悪いぞ、叱咤されるし、その為にはスタッフをもっと高い能力にする他ありません。
正直苦しかったですね。何が苦しいのかと言うと、明確に解決できる方法を自分で導き出せなかったからなんです。
その時僕が取った方法は?
まずは優しくする事でした。読んでいる人は笑ってしまうかもしれませんが、優しくする事で少しでも気分を楽に仕事をしてもらおうと思ったわけです。でもマネジメントって、優しくしたら売れるのか?という程簡単では無いですよね。
優しくする事で何が起きたのかというと、売上が落ちました。当時のスタッフは僕が24歳で後二人いたのですが、共に20代前半です。優しくしたらしたで気の緩みが出て来ます。売上悪くて怒られないので、自分で自分を見直す事がない。そんな負のスパイラルでした。
マネジメント方法は一人一人違う
当然といえば当然ですが、当時の僕はそんな事わかるはずもなく、このマネジメントという事について、アパレルを退社する30歳まで継続して苦しむ事になります。
今現在の僕が思うマネジメントって「未来を感じさせてあげる事」そして「その未来に寄り添ってあげる事」だと思っています。それぞれ今の会社を通過点にして目指すものあり、まずはその目指すものがなんなのかを二人で明確にし、歩んでいく。
未来が想像できる事で能動的に人は動き出すと思っています。中にはやりたい事が無いという人もいます。その場合はそれを探す所から始めます。
個人的にはマネジメント方法で100点は無いと思っており、プロ野球選手のように10本中3本ヒットを打てば天才というように、100人のスタッフを持ったら何人を成長させられるかだと思います。
初めて味わった中間管理職の経験は今での生きている
正直言ってしまうと、この24歳という若さで経験できて良かったと思います。今の46歳でこのマネジメントをしていたら取り返しがつかないです。この時のこの経験からマネジメントと言うものを意識するようになり、20年近くかけて少しづつ正解に向かえている気もします。
まとめ
と、ココまでが店長の初年度の話です。この頃からちょっと仕事と言うのが楽しくなってきたのも事実。24歳の青年にアパレルの店舗運営の全てを任せてくれた会社には感謝していますし、この企業で得た事は今でもかなり生きてます。
そう言った意味ではどの企業で働くか?は大事だなと感じます。次からは25歳になります。実はこの25歳では自分の中で大きな変化がある年でした。また次も読んで下さいね。